使用者による労働者に対する損害賠償請求における労働者の責任制限=そんなに簡単には労働者に対する損害賠償請求は認められません

民法の原則からすれば、労働者の労働義務違反によって使用者に損害が生じた場合、使用者の労働者に対する損害賠償請求が認められる可能性はあります。

ただし、その損害が労働過程における過失により発生した場合、この民法の一般原則をそのまま適用し賠償責任を負わせるのは、資力の乏しい労働者にとって過酷な結果をもたらすこと、労働契約における特殊性を考慮すべきこと等から民法の一般原則が修正されるという考え方が一般的です。
この論理構成の根拠は概ね以下の3点です。
第一に、労働者の労働により利益を上げている使用者は、労働の過程で生じた損害についても危険を負担すべきです。これは使用者責任を根拠づける報償責任ないし危険責任の考え方で、労働者の職務に関する行為によって使用者に発生した損害も労働過程に内在する危険の現実化という点で共通する性格を持っており、その責任を労働者に一方的に負わせるのは公平ではないというものです。
第二に、労務の提供が使用者によって組織され統制される企業活動の一環として、使用者の指揮命令に従って行われるところにあります。使用者は、企業施設と機械・器具の安全、職場環境から作業の指揮、労働時間に至るまで、危険の発生と防止に関わる広範な権限を有しているのに対し、労働者は使用者により設定された職場環境の中で使用者の指揮命令に従って就業せざるを得ない立場にあります。
第三に、使用者は経営に伴う定型的危険について、保険制度や価格機構を通して損失の分散を図ることができますが、通常の労働者にそれを期待することはできないし、労働者に保険料を支払わせ経営に伴う危険を肩代わりさせるのは不当な責任転嫁と言わざるを得ないというものです。
たとえば、京都地裁平成23.10.31労判1041号49頁も「労働者が労働契約上の義務違反によって使用者に損害を与えた場合、労働者は当然に債務不履行による損害賠償責任を負うものではない。労働者のミスはもともと企業経営の運営自体に付随、内在化するものであるといえるし(報償責任)、業務命令内容は使用者が決定するものであり、その業務命令の履行に際し発生するであろうミスは業務命令自体に内在するものとして使用者がリスクを負うべきものであると考えられる(危険責任)ことなどからすると、使用者はその事業の性格、規模、施設の状況、労働者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防若しくは損害の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、労働者に対し損害の賠償をすることができると解される(最判昭和51年7月8日民集30巻7号689頁参照)。」と判示しています。
したがって、使用者が労働者に対して損害賠償請求をするために使用者は、労働者の債務不履行、故意または重過失、損害、相当因果関係を主張立証しなければならないことはもちろんのこと、当該損害賠償請求が信義則上相当なものであることを主張立証する必要があると解するべきです。

より具体的に要件についてみると、

1 そもそも労働者に「故意」または「過失」がなければ、労働者は損害賠償義務を負うことはありません。

労働事件に限らず、民法上、損害賠償請求をする者は、「故意」または「過失」を主張立証しなければなりません。

使用者による労働者に対する不当な損害賠償請求では、そもそもこの「故意」または「過失」が認められない事項が含まれていることが少なくありません。

2 そもそも「損害」と労働者の行為(故意または重過失)との間に因果関係が必要です。

労働事件に限らず、民法上、損害賠償請求をする者は、「損害」と行為(故意または過失)との間の因果関係を主張立証しなければなりません。

使用者による労働者に対する不当な損害賠償請求では、それは当該労働者のせいによる「損害」でも何でもないでしょ!無関係でしょ!使用者の責任でしょ!という「損害」が挙げられることが少なくありません。

東京地判平27・6・26労経速2258号9頁は、①人事評価による待遇、上司からの評価理由の説明、問題点の指摘、改善に向けた協議、②改善見込みが乏しいというのであれば重要案件を担当させない、③配置転換の検討、④非違行為に対しては懲戒処分による改善を促す、⑤解雇事由と評価できるまでの事情がない場合でも退職勧奨が可能である等、労働者に対する労務管理上の措置を労働者に講じることが可能であるが、会社がそのような対応を講じたと認めることができず、また、就業規則を解雇時まで作成していなかったという労務管理上の不備を放置していたことから、そのような会社の対応の不手際及び労務管理上の不備によって被る不利益を甘受すべき責任が会社にあることを理由として相当因果関係を否定しました。
すなわち、使用者が労務管理上の措置を労働者に対して講じていれば、損害の発生が防止ないし軽減できた可能性があるといえるような場合には、相当因果関係が否定されるということです。

3 労働事件においては単なる「過失」では足りず、「故意」または「重過失」が必要です。

使用者の労働者に対する損害賠償請求においては、少なくとも労働者に故意または重過失があったことが主張立証されなければならないことは実務上も定着しています。たとえば、名古屋地判昭62・7・27労判505号66頁も、「労働過程上の(軽)過失に基づく事故については労働関係における公平の原則に照らして、損害賠償請求権を行使できないものと解するのが相当である。」と判示しています。

例えば、軽「過失」があったとしても、一定確率で発生するミスの場合には損害賠償義務を負わない可能性が高いです。

4 重過失があったとしても、信義則上(民法1条2項)相当と認められる限度で賠償請求できるにすぎないとするのが判例です。

使用者は労働者の労働によって利益を得ているからです(報償責任)。

具体的には、
①労働者の帰責性
②労働者の地位・職務内容・労働条件
③損害発生に対する使用者の寄与度
を考慮して判断されます。

茨城石炭商事事件 最高裁1976(S51)年7月8日 民集第30巻7号689頁 参照)

例えば、100万円の「損害」、その損害と労働者の重過失との間の因果関係が認められた場合でも、

120万円全額の請求を認めるのではなく、3分の1の40万円を限度に請求を認めるといった判断をするということです。

 

弁護士 中井雅人

 

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