なぜ私は弁護士を志したのか

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はじめまして。暁法律事務所 弁護士 中井 雅人 と申します。

私が弁護士を志したのは、労働者や外国人などマイノリティの権利のために闘う弁護士になりたかったからです。そして、暁法律事務所(東京)のこれまでの取り組みや、基本姿勢である「法を尊び,法に頼らず」という言葉に共感し、暁法律事務所(東京)に入所することになりました。
私がなぜこのような弁護士になることを志し、大阪で当事務所を開設するに至ったかをお話します。

2005年、私は大阪府立大学人間社会学部人間科学科に入学しました。入学前は哲学や現代思想に関心をもっていましたが、いつの間にか演劇部に入っていて、1年生から3年生の後半までは遊び中心の日々でした。ここではたくさんのことを学びましたが、法律はもちろん「勉強」とも無縁の日々でした。
2007年、大学3年生になって、後に卒業論文の指導担当となる先生と出会いました。大学の授業はあまり出席しなかった私でしたが、その先生の言葉にはとても力があり、かっこよく、吸い込まれるようにしてその先生の授業はすべて出席しました。これをきっかけに3年生の後半くらいから、いつの間にか勉強をはじめていました。
奴隷制度と人種について、近代帝国主義と人種差別の起源について、家事労働と女性の社会的地位について、グローバリゼーションと外国人労働者についてなどマイノリティにまつわる研究分野と出会い、世界を見る視点が大きく変えられる思いがしました。なかでも外国人労働者問題に強い関心を持ち、「グローバル時代における移動労働者の地位とその論じ方」という卒業論文を執筆しました。移民が例外的どころか不可避的で常時存在する世界的現象であった歴史を踏まえたうえで、グローバリゼーションが進行する現在、先進諸国の政策及び資本の利潤創出行為がどれほどの貧困を生み、移民・難民を生みだしたかという構造分析を行い、日本の外国人労働者の現状とその展望を明示することを目的としました。研究を進めるなかで、歴史と現状とその構造を知れば知るほど、実際に彼らの役に立ちたいと思うようになりました。特に、外国人研修生・技能実習生が置かれた状況を知り、強い憤りを覚えました。こうした問題に取り組む活動家や弁護士がいることを書籍等で知りましたが、それでも2008年当時は今ほど活発なものではありませんでした。徐々に、「よし、自分が弁護士になって闘おう。」と思うようになりました。

この頃、大学の中だけでの研究には満足できず、「現場」を知りたいと考え、大阪にあるTRY(外国人労働者・難民と共に歩む会)という支援団体に加わり、入管法違反と判断された外国人(日本に家族がいる人、難民など)が収容されている収容施設に面会活動も行いました。この支援団体は労働組合とつながりが深い労働組合(ひとりでも入れる合同労組)で外国人に限らない「労働者」の問題も学びました。

そして、暁法律事務所(東京)所長の指宿弁護士が、これらTRYや労働組合の顧問していた関係で指宿弁護士と出会い、その活動内容や理念に共感し、本格的に労働者や外国人のために闘う弁護士を志すことを決意しました。
それから法科大学院を修了し、3回目の受験で司法試験合格しました。法学部出身ではない私にとって、とても大変な道のりでした。

2014年11月に司法修習生となり、7月集会(昔は1月集会)という有志の司法修習生が開催する社会問題をテーマとするシンポジウムの実行委員をしました。今にもつながるたくさんの学びがありました。

2015年12月17日、弁護士登録と同時に暁法律事務所(東京)に入所しました。当初から1年後に、生まれ育った大阪の地で独立開業する予定で東京の暁法律事務所で修行するという趣旨でした。約1年間、労働事件・入管事件ばかり取り組むものだと思っていましたが、労働事件・入管事件を中心に、刑事事件・交通事故・破産・離婚・出版差止・ウェブサイト削除など、比較的多分野の事件を経験することができました。

2017年1月1日、生まれ育った大阪の地で「暁法律事務所」を開業しました。私が1年間修業をした東京の「暁法律事務所」と同じ理念で弁護士活動を行うということで、同じ名前の「暁法律事務所」としました。

改めて振り返ってみると、私は、目の前の関心、やるべきことに熱中し、いろいろな出会いに支えられ、ここまで進んできたのだとわかりました。私の原点ともいえる卒論も、今読み返すと、若さや情熱にあふれたもので、読んでいて恥ずかしくなる箇所もあります。これからもこの情熱を忘れることなく、初心を忘れることなく、労働者や外国人などマイノリティのために闘う活動をしていきます。

弁護士 中井雅人