残業代を支払わない言い訳 「変形労働時間制」

「『変形労働時間制』なので、残業代を払わなくてよい」
残業代請求の交渉や訴訟をしていて、会社側からこういう趣旨の反論をされることがあります。
また、勤務先の会社では「変形労働時間制」が採用されているから、残業代請求はできないとあきらめている労働者もいます。

しかし、以下のべるとおり、こうした反論(言い訳)は、ほとんどの場合まちがっています。

 

無効ないし間違った運用をしている「変形労働時間制」は少なくない

私が法律相談や受任事件で見てきた限り、全く疑義なく有効に導入・運用されている「変形労働時間制」は見たことがありません。

(多くの労働弁護士も同じことを言っています。)

これは後述のとおり、変形労働時間制の要件が極めて厳格だからです。

また、仮に、「変形労働時間制」が有効であったとしても、その「変形労働時間制」が実際には運用されず、週40時間・1日8時間規制(労基法32条)を前提に労務管理されている場合も少なくありません。

これは変形労働時間制を実際に運用して、変形労働時間制を前提とした残業代計算をするのが極めて煩雑だからです。

実は、ほとんどの会社が「変形労働時間制」の意義・メリットを理解できていないのではないかと思います。

 

厳格な変形労働時間制の要件

労基法の大原則の例外

変形労働時間制は極めて厳格な要件を課されています。

変形労働時間制は、週40時間・1日8時間規制(労基法32条)という労働基準法の大原則に対する例外だからです。

変形労働時間制の趣旨

変形労働時間制は、交代制労働を採用したり、業務に繁閑の波があったりする業種において、必要に応じて労働時間の長短を調整できるようにすることで、使用者による労働時間調整を容易にする一方、平均した週の労働時間を法定労働時間以下に抑えることで、労働者の総実労働時間の短縮を図る趣旨で導入されたもの(昭和63.1.1基発1号)とされています。

この趣旨からすれば、恒常的に長時間労働がある職場、特段の繁閑の波がない職場において、変形労働時間制が採用されているとすれば、それは趣旨との関係で全く無意味で、必要性がない脱法的な「変形労働時間制」だと言えます。(福岡地裁小倉支部昭和42.3.24労民集18.2.210参照)

教科書等では、1年単位の変形労働時間制は、「季節により繁閑の差がある百貨店や結婚式場などで利用されることが想定されている。」(水町勇一郎『詳解 労働法 第2版』東京大学出版会、2021、713頁)と紹介されていますが、1か月単位の変形労働時間制の具体例は見つけることができませんでした。

変形労働時間制の制度趣旨に合致するような事業場はそう多くはないのではないでしょう。

1か月単位の変形労働時間制

①労使協定、就業規則、または就業規則に準ずるものにおける変形労働時間制の定め(以下②③④)

②変形期間(1か月以内の一定期間)を平均して,1週あたりの労働時間が週法定労働時間(40時間〔特例事業では44時間〕)を超えないように,所定労働時間を定めること。

例えば,1か月31日の月を単位とする場合,月の総所定労働時間は,40時間×(31÷7)週=177.1..時間を超えてはならない。

③変形期間(1か月以内の一定期間)における労働日・労働時間の特定(労基32条の2第1項)

就業規則作成義務のある事業場であれば、始業・終業時刻は絶対的必要記載事項であるから(労基89条1号)、単位期間内の毎労働日の始業・終業時刻を特定しなければならない。

④変形期間(1か月以内の一定期間)の起算日を明示すること(労基則12条の2第1項)

⑤労使協定の場合はその有効期間

※労働基準監督署への「届出」について、届出違反には罰則の適用がありますが(労基法120条1号)、届出は変形労働時間制の有効要件(効力発生要件)ではないと解されています。したがって、使用者側から労働基準監督署に届出をしているからうちの会社の「変形労働時間制」は有効だという主張がされることがありますが、これは変形労働時間制の有効性とは無関係で、有効性の文脈では法的に無意味な主張です。使用者もきちんと弁護士さんに相談された方がよいと思います。

労働基準法第32条の2

第1項 使用者は、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定により、又は就業規則その他これに準ずるものにより、一箇月以内の一定の期間を平均し一週間当たりの労働時間が前条第一項の労働時間を超えない定めをしたときは、同条の規定にかかわらず、その定めにより、特定された週において同項の労働時間又は特定された日において同条第二項の労働時間を超えて、労働させることができる。
第2項 使用者は、厚生労働省令で定めるところにより、前項の協定を行政官庁に届け出なければならない。

1年単位の変形労働時間制

①労使協定を締結し、変形労働時間制の定め(以下②③④⑤)

②対象労働者の範囲

③対象期間(1か月を超え1年を超えない範囲と起算日)

④特定期間(対象期間の中の、特に業務が繁忙な期間)(労基法32条の4第1項3号)

⑤対象期間の週平均労働時間が40時間を超えない範囲での、対象期間中の労働日各労働日の所定労働時間(ただし、対象期間を分割して1か月以上の区分期間を設けて最初の区分期間の労働日と各労働日の所定労働時間を定め、残りの区分期間については各期間の労働日数と総労働時間数のみを定め、各区分期間の開始30日前に過半数代表の同意を得て当該区分期間の労働日と各労働日の所定労働時間を書面で定めてもよい)(労基32条の4第1項4号、第2項、労基則12条の4第2項)

※一年単位の変形労働時間制では、対象期間の上限が長く、各週や各日の労働時間に大きな偏りができ、労働者の健康・安全や生活に支障を来す危険性が大きいため、厚生労働省令により対象期間中の労働日各労働日の所定労働時間の条件がさらに制限されています。

ア 対象期間における労働日数の限度(対象期間が3か月を超える場合は、原則として対象期間について1年当たり280日)

イ 1日及び1週間の労働時間の限度(1日10時間・1週52時間)、

ウ 対象期間が3か月を超える場合の週労働時間の特別規制(対象期間においてその労働時間が48時間を超える週が連続する場合の週数が3以下で、かつ、対象期間をその初日から3か月ごとに区分した各期間において労働時間が48時間を超える週の初日の数が3以下)

エ 対象期間(特定期間を除く)において連続して労働させる日数の限度(6日)

オ 特定期間において連続して労働させる日数の限度(1週間に1日の休日が確保できる日数)が定められている(労基32条の4第3項、労基則12条の4第3~5項)。

⑥労使協定の有効期間

※労働基準監督署への「届出」について、届出違反には罰則の適用がありますが(労基法120条1号)、届出は変形労働時間制の有効要件(効力発生要件)ではないと解されています。したがって、使用者側から労働基準監督署に届出をしているからうちの会社の「変形労働時間制」は有効だという主張がされることがありますが、これは変形労働時間制の有効性とは無関係で、有効性の文脈では法的に無意味な主張です。使用者もきちんと弁護士さんに相談された方がよいと思います。

変形労働時間制の効果

 

変形労働時間制を採用するメリットのある事業場は多くはない

労働者からすれば、変形労働時間制は、週40時間・1日8時間規制(労基法32条)という労働基準法の大原則を解除する効果を持つ制度ですから、そもそも、権利を一部失う制度であり、その意味でメリットはないと言えます。

もっとも、閑散期に労働日や労働時間が少なくなるのであれば、その場面で労働から解放された自由時間が増えるという意味では、労働者にとってメリットがあるとも言えるでしょう。

他方、使用者としては、労働基準法の大原則を解除する効果を持つ制度を導入するということは、一部において労基法上の義務を免れるとも言えるわけですから、その意味ではメリットがるように思えます(こうした動機が誤った「変形労働時間制」を誘発しているのでしょう。)。

しかし、上記のような厳格な要件をみたすこと、週40時間・1日8時間規制の場合よりも複雑な残業代計算をすること、はかなり難しいことです。

そこまでリスクを冒して、労力を費やして「変形労働時間制」を導入・運用するメリットがあるのは、真に繫閑が予定されている事業場に限られるでしょう。

つまり、労使ともに、変形労働時間制のメリットがあり得るのは、本来の制度趣旨どおりに制度を導入・運用できる場合に限られると言えます。

 

変形労働時間制を採用している会社は意外に多く驚きである

令和5年就労条件総合調査 結果の概況(厚労省ウェブページ)

によれば、

変形労働時間制を採用している企業割合は 59.3%(令和4年調査 64.0%)となっており、これを企業規模別にみると、「1,000 人以上」が 77.3%、「300~999 人」が 68.6%、「100~299 人」が 67.9%、「30~99 人」が 55.3%となっている。また、変形労働時間制の種類(複数回答)別にみると、「1年単位の変形労働時間制」が 31.5%、「1か月単位の変形労働時間制」が 24.0%、「フレックスタイム制」が 6.8%となっている。(第8表)

変形労働時間制の適用を受ける労働者割合は 51.7%(令和4年調査 52.1%)となっており、これを変形労働時間制の種類別にみると、「1年単位の変形労働時間制」は 18.7%、「1か月単位の変形労働時間制」は 22.0%、「フレックスタイム制」は 10.6%となっている(第9表)。

とのことである。

この調査は、「調査客体数 6,421 有効回答数 3,768 有効回答率 58.7 %」とのことである(統計としての正確性・有効性は当職には評価できない。)。

これほどの企業や労働者において、業務の繁閑への対応等本来の制度趣旨どおりの運用をしているとは、考えられないのではないでしょうか。

 

弁護士中井雅人

残業代を支払わない言い訳 まとめ

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